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Portrait

私がモデルに求めるもの

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今日の話はかなり個人的な意見であって また かなり狭い範囲の話

なのでいつも読んでくださっている読者の方々には余り意味のない話になりますのでご了承ください




タイトルにもある「私がモデルに求めるもの」は多くはありません

まず 私が何故 声をかけた女性を「撮りたい」と思ったのか?

その女性の普段の生活の中における一連の動作(言動)の中でとても素敵で ドキッ!とする瞬間があるからです

大抵の女性はその自分に気づいていません

だから私がそれを力説してもよくイメージできないのです

でも私が見逃さなかった「その一瞬」は当たり前ですが「彼女自身の他の何者でもない」のです

その「一瞬」が頭の中から離れずに むしろどんどん勝手な妄想となってイメージが膨らみます


私に一度でも撮影されたことのある女性ならよくわかると思いますが

私は女性に対して「普通でいいよ」とか「普通でいて」とよく言います

しかしこの「普通」がとても難しいのです

何故なら彼女たちは彼女自身の「普通」を「知らない」からです


私は作られた彼女たちを撮影するつもりはありません

誤解のないうちに断っておきますが この話は「仕事としての撮影」ではありません

「私の趣味」としての女性ポートレイト撮影についてです


一般的な言葉で説明するならば「自然(ナチュラル)な彼女たち」を撮りたいのです

ポーズを決めてニコッとするグラビア写真は必要ないのです

私はロケーションで勝負するカメラマンです

私の写真は「奥行きと背景」で決まります それがこだわりです

だから私はどんなに遠方でも交通費をかけてまで複数回のロケハンに出かけるのです


私が今現在撮影することのできる数十名の女性の中には職業としてのモデルもいます

半分以上は「普通の人」です(あえてここでは「素人」と記します)

プロのモデルを撮影していて心地イイのは 彼女たちはカメラマンを理解しようと努めます

足りない言葉であってもカメラマンのイメージを汲む努力をします

そしてカメラマンのタイミングを測ります つまり「あうん」の呼吸を探るのです

もちろんカメラマンも同じことをします

それが完全に一致すると何もストレスのない撮影ができます

そしてプロのモデルはカメラマンの要求に正確に応えます

プロだから当たり前なのですが しかしそれができて「平均点」なのです


一方 素人はそれらが難しいです

当たり前です だから素人なのです

私は素人のモデルにそれを求めるつもりは毛頭ありません

先に述べたように 私が知っている彼女たちの「素敵な一瞬」が欲しいのです

それをどうにか上手く導くために色々と「誘導尋問」するのです

しかし多くの素人モデルは「指示」を待ちます

どうして良いかわからないからですね

それもよく理解できます

でも再三記しているように 私が欲しいのは「一連の動作の中における素敵な一瞬」です

それを指示して再現できるくらいならプロです

それに素人は1つのポーズや動作(仕草)を指示するとそれに執着する傾向が強いのです

その姿は不自然そのものです

例えば歩き方

私が指示をして歩いてもらうと実にぎこちないのです

「もう一度、戻ってやり直してみてください」

そう言って彼女は元の位置に戻りますが その時の歩き方が実に自然で美しいのです






話は逸れますが・・・これに似たエピソードを1つ

私は映画監督の北野武さんの作品が嫌いです

でも北野監督のカメラワークと演出は素晴らしいと思っていますし影響も受けています

詳細については控えますが その秘密を知った時の衝撃が鮮明に記憶されて言います


北野監督は作品の中の重要シーンや全体から見てキーポイントとなる何気ないシーンでもオフショットを使うと言います

ある作品のロケ撮影中の話

休憩時間に川を挟んだ向こう側に役者3人が談笑していました

北野監督は彼らに向かい「ビートたけし」になって面白おかしい動作で手を振ったのです

すると向こうにいた役者3人は「また監督はアホなことしてるよ」と笑いながらもアホな表情でそれに応えたのです

しかしこの時もカメラは回っていたのです

「監督、何ですかいきなり」

そういう役者に向かって

「今の押さえておいたから使うよ」と言ったのです

すると「えーっ!それならそうと言ってくださいヨォ!」と役者たちが驚きます

それに対して北野監督は「バカヤロウ、お前たち、本番であの自然な仕草をやれって言ってできるのかよ!」


まさに私の気持ちそのものなのです

またあるテレビドラマのプロデューサーから聞いた話ですが

エキストラをたくさん使って たとえば交差点で信号が青になって一斉に歩行者が歩き出すシーンを撮る時は

いたずらして「カット!」の後に元の位置に戻るエキストラたちを抑えておいて使うことが多いと言います

つまり 「本番!スタート!」と言って一斉に歩き出すエキストラは自然さが無いというのです

なのに「もう一回撮ります。元に戻ってください」と言われて元に戻る時の彼らの行動は当たり前なのですが自然なのです





普段は無意識に 自然にできる仕草なのに いざ指示するとできないのは何故でしょう?

答えは簡単です

「自分を演じ切れていない」のです

普段の自分を 普通に表現することができないのです

私が指示をして 不自然な仕草になっている時点で彼女たちはもう「他人」なのです



私のモデルの中には4名ほど何をしても上手いと思える女性がいます

一人は「卒業」してしまったので実際は3人ですが・・・

本人たちにも言いますが 彼女たちの動作や仕草は実に自然です

無理が無いのです

身の丈に合っているのです

つまりそれは普段からの彼女自身を「見事に演じている」のです

「演じている」という言い方には少々抵抗がありますが あえてここでは使います

彼女たちは きちんとした指導を受ければ間違いなくプロのモデルになれますよ

プロのモデルは自分を演じることがとても上手いのです

自分の中にいる「もう一人の自分」との付き合い方が実に上手いのです

それが彼女たちの「個性」であって「ブランド」なのです


監督やプロデューサーが求める演技だけができれば良いのであれば役者は誰でも良いのです

それでも「あいつじゃ無いとだめだ」というのはその人の「個性」が欲しいからです

オーディションではその「個性」を見るのではないでしょうか?

先ほど述べた「平均点」以上の領域は「個性」です

その人でなければ表現できない「ブランド」です


少々難しいかもしれませんが 私が素人の女性モデルに求めているのはその「個性」なのです


でも私は監督でもプロデューサーでもありません

だから「演技」を求めてはいません

普段通りの彼女たちの 無意識で自然に振る舞う仕草を求めているのです

彼女たちはそれを知らないから 私が撮影する写真に驚くのです

でもそれは普段の彼女たちそのものであって 演技された「他人」ではないのです

屁理屈かもしれないけれど それは難しい話ではないのです














by pianoartech312 | 2018-03-05 19:00 | Portrait | Comments(0)

女性ポートレイトとモノクロフィルムについて追求しています♪


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